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『危機と克服(上)』 (2008/5 読了)

ネロ帝死後のローマは、短期間でめまぐるしく皇帝の登位と退位が繰り返される(しかも暗殺という手段も辞さない)混乱期に突入します。上巻は、ガルバ、オトー、ヴィテリウスの三皇帝の時代。

これがほんの一年程度の期間に起こったことなのだから、息の長いローマ時代においてもさぞや危機的な年だったのだろうと想像してしまうのですが、そこを一旦冷静な目で捉え直すのが、この「ローマ人の物語」における歴史視点の魅力であります。

それにしても塩野七生さんは、簡潔かつ鋭く、時代や人物の特徴をずばりと切り取ることが巧い人だ、と毎巻思うのですが、今回のツボは「愚者の戦闘は、戦況の展開が明解でない」及び「してはいけないことだけを行い、やらなければならないことは一切やらなかった」(細部は本文そのままに正確ではありませんが)という二文でした。

三皇帝の治世は、読んでいてもどうもいまいち心惹かれないというかぱっとしないというか……というのが正直な感想です。ヴェスパシアヌスの登場に期待を寄せたいところです。


『危機と克服(中)』 (2008/11 読了)

中巻は、帝国騒乱に乗じて起こった属州内乱期、及びヴェスパシアヌスの治世期。大国ローマの頂点に立つ人物の特質が「健全な常識人」と表現されるとは、なんとも新鮮でありました。

人間性への配慮、特に戦闘における敗者に対するそれを判断し誤ると、取り返しのつかない事態を招く、とはこれまでも何度も主張されてきたことです。上に立つ者には、政治力や軍事力のみならず、その辺りの微妙なバランス感覚を要求されるのですね。前述の「人間性への配慮」と「冷徹さ」とは矛盾するのではないか、と以前の私は(ユリウス・カエサルの巻を読むまでは)思っていたのですが、それは「冷徹」という言葉の意味を誤解していただけであって、物事の状況を冷静かつ深く鋭く見抜く頭脳を持ってすれば、時と場合に応じて寛容と厳格を使い分けることも可能になります。
そして、この寛容と厳格の精神が、宗教感にも顔をのぞかせるのが、ローマの興味深いところのひとつです。


『危機と克服(下)』 (2009/1 読了)

ヴェスパシアヌスの息子、ティトゥスとドミティアヌスの時代から、ネルヴァの登場まで。

兄弟で皇帝位についた二人ですが、かたや兄のティトゥスは善帝と称えられるのに対し、弟のドミティアヌスは暗殺された上に記憶抹殺刑にまで処せられるという、明暗分かれる評価を受けています。歴史にイフは禁物だとはいえ、兄がたった二年で病死していなければ、彼ら兄弟の生涯も、あるいは全く違った形になっていたのかもしれませんね。「治世が短ければ、誰だって善き皇帝でいられる」とは、皮肉が強すぎるとはいえ一理あるように思います。

私には、ドミティアヌスが記録ごと抹殺されなければならないほどの悪帝には思えず(他にこの刑に処された皇帝にはネロ帝がいるそう)、経緯を再確認するためにこの巻を何度か読み返したのですが、結果、元老院の反発を招いただけでなく、皇帝は最高権力者でありながらも絶対服従の対象ではない、という「デリケートなフィクション」を顧みようともしなかった、という一文に辿り着いて、ようやく腑に落ちたような気がしたのでした。

そしてドミティアヌスの死後、ローマは五賢帝時代を迎えます
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2009.01.24 Sat l 歴史・時代小説(海外) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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