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<title>彩色本棚</title>
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<description>本の感想を綴る日記です。ジャンルは節操なく、面白そうだと感じた、その直感を頼りに。</description>
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<title>石田千『屋上がえり』</title>
<description> 温度計を携えて上るは、デパートや、入院していた病院や、昔住んでいた団地や、取り壊される寸前のビルの、屋上の数々。見下ろす景色が爽快だったり、日常とは違う特別な高揚感があったり、とにかく高いところが好きだったり、と理由は色々あるでしょうが、「屋上」という響きになんとはなし心躍る人は、案外多いのでしょうか。ちなみに、私にとっての屋上は「小さい頃に見上げた大きなバルーン遊具のある場所」、どこかノスタルジ
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<![CDATA[ 温度計を携えて上るは、デパートや、入院していた病院や、昔住んでいた団地や、取り壊される寸前のビルの、屋上の数々。見下ろす景色が爽快だったり、日常とは違う特別な高揚感があったり、とにかく高いところが好きだったり、と理由は色々あるでしょうが、「屋上」という響きになんとはなし心躍る人は、案外多いのでしょうか。ちなみに、私にとっての屋上は「小さい頃に見上げた大きなバルーン遊具のある場所」、どこかノスタルジーを感じる場所です。<br /><br />しかし、建物も気候も風景も様々な屋上レポートを読みながら、私が微かな憧れを感じた本当の対象は、いつもより高い場所から景色を見下ろすということ自体ではなく、立ち入り禁止の場所に敢えて「立ち入って」みたり、屋上越しに触れ合った見知らぬ誰かに向けて自然に手を振ってしまえたりする、そのフットワークの軽さであったのかもしれません。<br /><br />そして、妙にしみじみと感じ入ったことがもうひとつ。かつて自分が馴染んだ場所、愛着を持っていた場所を再訪するということは、その地が記憶に残る姿と変わっていても変わっていなくとも、懐かしい人と再会できてもできなくても、幾分かの危うさを孕んでいる―愛情の深さと比例するようにして―、ように思います。近いけれどとても遠いそんな場所が、気付けば私にもひとつふたつと増え始めている、ということに思い至って、一抹の切なさを覚えたのでした。<br /> ]]>
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<dc:subject>エッセイ（日本）</dc:subject>
<dc:date>2009-09-24T23:58:12+09:00</dc:date>
<dc:creator>ほたる</dc:creator>
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<title>トム・スタンデージ『世界を変えた6つの飲み物』</title>
<description> ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラの6種類の飲み物が、人類の歴史とどのように関わり、また変化をもたらしてきたのか？　「世界を変えた」などと言われると、ずいぶん大風呂敷なタイトルを……と思ってしまいます。しかし、たかが飲み物されど飲み物。大げさでも煽り文句でもなく、実際に「歴史を変えた」エピソードの連続です。嗜好品として、あるいは社交の道具として、または交易の要となる商品として、一杯の飲み
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<![CDATA[ ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラの6種類の飲み物が、人類の歴史とどのように関わり、また変化をもたらしてきたのか？　「世界を変えた」などと言われると、ずいぶん大風呂敷なタイトルを……と思ってしまいます。しかし、たかが飲み物されど飲み物。大げさでも煽り文句でもなく、実際に「歴史を変えた」エピソードの連続です。<br /><br />嗜好品として、あるいは社交の道具として、または交易の要となる商品として、一杯の飲み物それ自体には罪も利もないというのに、それが政治や経済の厄介な問題に巻き込まれると、予想もしなかったような大きな影響力を及ぼしてしまったりもする、その過程が非常に面白い、と思いました。<br />もっとも印象に残っているのは、コカ・コーラ社CEOの方の言葉。ビートルズにコカ・コーラ、なるほど確かにどちらも世界を駆け巡るグローバルな人気者であります。<br /><br />残念な点は、俎上に乗せられた飲み物の内、私が実際に味わうことのできるものが少ない、ということで、読み終わった後にビールなりワインなりを余韻に浸りつつ嗜むことができたらもっと楽しめたような気がするのですが……。<br /> ]]>
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<dc:subject>食</dc:subject>
<dc:date>2009-09-21T23:21:14+09:00</dc:date>
<dc:creator>ほたる</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>平松洋子『夜中にジャムを煮る』</title>
<description> 料理を作ること、美味しくいただくことに纏わる、じんわりと味わい深いエッセイ。食べることは生きることに直結していて、そうとなれば「食べるを楽しむ」ことは「生きるを楽しむ」に繋がるし、「食べるを豊かにする」ことは「生きるを豊かにする」ことになるのだ、と感じました。でも、決して肩肘張った「お料理哲学」の本ではなくて、「料理において大事なものは人の手である」だとか、「うまいまずいは塩加減ひとつ」であったり
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<![CDATA[ 料理を作ること、美味しくいただくことに纏わる、じんわりと味わい深いエッセイ。<br />食べることは生きることに直結していて、そうとなれば「食べるを楽しむ」ことは「生きるを楽しむ」に繋がるし、「食べるを豊かにする」ことは「生きるを豊かにする」ことになるのだ、と感じました。でも、決して肩肘張った「お料理哲学」の本ではなくて、「料理において大事なものは人の手である」だとか、「うまいまずいは塩加減ひとつ」であったりとか、秘訣は簡潔明瞭。でも、そこが奥深いのですけれども、ねえ……。<br /><br />炊飯器を使わずご飯を炊く、蒸し器を活用する、電子レンジを捨てる、といったことごとは、どれもが美味しいものを美味しく味わう、ごくシンプルな手段なのだけれど、そして実行するのは決して難しくないよ、とこの本は背中を押してくれるのだけれども、実際にはやはり、そこまで潔くは（羨望の思いは抱きつつも）なかなかなれません。<br />　<br />そして、「食べること」の幸福がたっぷり凝縮された本であるだけになおさら、「食べない」「食べられない」に関するエッセイが印象に残っています。煮干しを齧る、ナッツを齧る、空腹ののちにやってくる「澄んだ」一瞬。<br /><br />そして、カップ酒でおつまみを持って公園でひとりピクニック、の光景の、なんと楽しげだったことか！　ひとりで外食することが苦手な（と、いうよりも、できない）私にとっては、羨ましいとともに、ある意味参考になる内容でもありました。<br /> ]]>
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<dc:subject>食</dc:subject>
<dc:date>2009-09-08T17:41:19+09:00</dc:date>
<dc:creator>ほたる</dc:creator>
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<title>リチャード・フラナガン『グールド魚類画帖―十二の魚をめぐる小説』</title>
<description> 古いねずみ入らずの中からでてきた古い一冊の本。そこには、魚の絵とその魚にまつわる物語が様々な色のインクで記されています。作者は、ウィリアム・ビューロウ・グールド。19世紀に生きた囚人画家で、ファン・ディーメンズ・ランド（現在のタスマニア）に流刑になった人物です。そこで、自然科学に傾倒する医師の命令を受けてかの地で採取される魚の絵を記録として描くようになるのですが、その魚の絵が彼を数奇な運命へと押し流
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<![CDATA[ 古いねずみ入らずの中からでてきた古い一冊の本。そこには、魚の絵とその魚にまつわる物語が様々な色のインクで記されています。作者は、ウィリアム・ビューロウ・グールド。19世紀に生きた囚人画家で、ファン・ディーメンズ・ランド（現在のタスマニア）に流刑になった人物です。そこで、自然科学に傾倒する医師の命令を受けてかの地で採取される魚の絵を記録として描くようになるのですが、その魚の絵が彼を数奇な運命へと押し流していきます。<br /><br />以前からずっと読みたかった本です。冒頭の何ページかを読んだだけで、自分はこれからなにかとんでもない物語を体験しようとしているのだ、という予感に襲われます。<br />しかし、どうにも感想がまとまらないのです。覚めない悪夢の中に放り込まれたような、悪夢と知りつつ魅了されて覚めることを拒んでいるような。なにが現実でどこからが妄想なのか、そして、結局のところ狂気に囚われていたのは誰なのか。<br /><br />生と同じくらいに、死が強く香ります。ページを開けばそこは、グールドが物語る流刑地、壮麗な「大麻雀館」が建ち、蒸気機関車が走り、貿易港が作られ、ひとつの国家建設を夢想する「司令官」に支配された土地で、ほとんど暴力的なまでに強力かつ強烈なイメージ（ファンタジー）の連続に、絡めとられ飲み込まれ幻惑され……次第にくらくらと眩暈がしてきます。<br />なんとも毒性の強い物語で、翻弄されてみる価値は十分にあると思うのだけれども、でもうまくひとには勧められない一冊でもあり。<br /><br />「State Library of Tasmania」のサイトでは、グールドの描いた水彩画（魚以外のものも）が見られるらしい、とあとがきで読んで、早速行ってみました。美しくもどこか陰鬱な（気がする）風景画や、どことなく毒々しい（ように思える）静物画、そして、ポーキュパイン・フィッシュと「目が合って」しまって、どきりとしたのでした。<br /> ]]>
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<dc:subject>ファンタジー（海外）</dc:subject>
<dc:date>2009-09-07T23:12:04+09:00</dc:date>
<dc:creator>ほたる</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>マリーナ・ピカソ『マイ　グランパパ、ピカソ』</title>
<description> 私のおじいちゃん、という温かみのあるタイトルに、ものの見事に騙されました。たった数ページで、私はこの本を最後まで読み切ることはできないかもしれない、とさえ思ったくらい。それほどまでにこれは、凄惨で悲劇的で救いのない人生の記録です。作者は、かのパブロ・ピカソの孫である女性です。私自身は、かの天才の作品を特別に好んでいるわけではないし、彼のひととなりについて知識も不足している代わりに先入観も抱いてはい
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<![CDATA[ 私のおじいちゃん、という温かみのあるタイトルに、ものの見事に騙されました。たった数ページで、私はこの本を最後まで読み切ることはできないかもしれない、とさえ思ったくらい。それほどまでにこれは、凄惨で悲劇的で救いのない人生の記録です。<br /><br />作者は、かのパブロ・ピカソの孫である女性です。私自身は、かの天才の作品を特別に好んでいるわけではないし、彼のひととなりについて知識も不足している代わりに先入観も抱いてはいません。類まれな才能を持つ人物というのは、一定の距離を置いて称賛を贈る人々にとっては崇拝に値する偉大なる存在であるけれども、家族のように血を分け生活を共にし、そのために強い影響力を受けざるをえない人々にとっては、ほとんど怪物のように恐ろしく、時には憎しみすら掻き立てる対象になりうるのだ……という月並みな印象を漠然と抱いている程度です。なので、一側面だけを見て多分に感情移入して読んではいけない、と頭の片隅で戒めていたつもりでした。にも関わらず、時に冷水を浴びせられたかのように、棍棒で殴りつけられてもしたかのように、否応なく衝撃を受ける場面が、次々にやってきます。例えば、「世の中には知らない方が良いことがある」と彼女が振り返る、祖父からもらったお菓子に関する回想。例えば、祖父と同じ名を持つが故に、自らの名前を名乗ることすら拒まれた兄のこと。<br /><br />祖父はあらかじめ自分たちから奪われていた、と彼女は言います。ならば、逆説的ではあるけれども、彼女の祖父についても同じことが言えるのではないか、とも思うのです。彼からも、いわゆる「普通の家族の愛」とでもいうべきものが、あらかじめ奪われていたのではないのか？　とてつもなく傲慢な言い方に聞こえることは承知の上で、敢えて言うなれば、この本を読んでいる間、私の頭の中で囁き続けていた言葉は「天は二物を与えない」という一言でした。その人の持っている「ひとつ」が、その他の人々には手に入れることの敵わないほどに傑出したものであればなおさら。<br /><br />どれほどの苦しみを味わおうとも、彼女は「偉大なる祖父」から継いだ名前を捨ててはいないし、冒頭のポートレートに映るその目は、驚くほど彼に似ています。それは、逃れられない呪縛であるとともに、彼女が「生き残る」ことができたエネルギーの源でもあるのだと、酷く勝手な思い込みであってもそう信じたい、と思うのです。<br /> ]]>
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<dc:subject>文学・本・言葉</dc:subject>
<dc:date>2009-09-05T23:39:54+09:00</dc:date>
<dc:creator>ほたる</dc:creator>
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